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八宗十三派と呼ばれるほど複雑な日本の仏教。八宗とは、天台、真言、臨済、曹洞、浄土
浄土真宗西、浄土真宗東、日蓮の各宗をいい、また十三派とは、法相、華厳、律宗、天台
真言、融通念仏、臨済、曹洞、浄土、浄土真宗、時宗、日蓮、黄檗の各宗を指します。

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日本の仏教 宗派・宗旨


■ 天台宗

【開祖】 伝教大師最澄(766〜822)
【本尊】 釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来の三尊が一般的。一尊一仏でないため観世音菩薩、不動明王の場合も。
【主要経典】 法華経
【本山】 比叡山・延暦寺
【有名寺院】 平泉中尊寺、東京寛永寺、京都三千院など
【系列学校】 大正大学、比叡山高校など
【諸行事】 修正会(しゅじょうえ)、涅槃会、春秋の彼岸会、釈迦降誕会、山家会(宗祖報恩法要)、盂蘭盆会、宗祖降誕会、天台会(開祖報恩法要)、成道会など
【最澄】 滋賀県に生まれ、12才で近江国分寺に入り、19才で奈良東大寺で受戒。その後比叡山にこもり独自の修学を続ける。 21才で後の延暦寺となる比叡山寺を建立し、30才の時に桓武天皇に認められ天皇護持僧となる。37才で遣唐使に同道して中国に渡り、本場中国の天台を学ぶ。 中国の天台とは中国の智ぎ禅師(天台大師)が法華経を中心に体系化された思想。 帰国後、比叡山に日本天台宗おこし発展させた。しかし、理解者であった桓武天皇亡き後の後半生は何かと苦難を強いられる。
【エピソード】 平安中期の天台学僧源信(恵信僧都)が「往生要集」を著し阿弥陀信仰を提唱、これが後の法然、親鸞の念仏信仰の源流となる。 また、栄西や道元、日蓮なども天台を学んでおり、比叡山は鎌倉仏教誕生の母胎として重要な役割を果たす。
【天台系宗派】 天台寺門宗(三井寺)、天台真盛宗(西教寺)、和宗(四天王寺)など


■ 真言宗

【開祖】 弘法大師空海(774〜835)
【本尊】 一般的には大日如来。薬師如来、不動明王、観世音菩薩などをご本尊とする場合もある。
【主要経典】 大日経、金剛頂経、理趣経
【有名寺院】 成田山新勝寺、川崎大師、京都東寺など
【系列学校】 高野山大学、種智院大学、高野山高校など
【諸行事】 修正会、節分会、春秋の彼岸会、仏生会(花まつり)、大師降誕会、盂蘭盆会など
【空海】  香川県に生まれる。 小さい頃から秀才のほまれ高く、官吏になるため奈良に上るが、仏教に興味を示し仏道の修業に転進。 30才の時遣唐使にまじって中国に渡り、長安の恵果より真言密教を学ぶ。 2年後に帰国、のち嵯峨天皇より高野山の地を与えられ金剛峰寺を開く。 さらに、京都・東寺を拠点にして上流階級や庶民への布教に励む。 最澄とは親交があったが、晩年教義の不一致から疎遠になる。 香川県満濃池の修復事業など社会活動に功績を残し、また達筆家としても有名。 一般に「お大師さま」と言えば、空海をさす場合が多いが、「大師」とは格別に徳の高い僧に朝廷より贈られる号のこと。
【真言系宗派】 高野山真言宗(金剛峰寺)、真言宗智山派(智積院)、真言宗豊山派(長谷寺) 真言宗醍醐派(醍醐寺)、東寺真言宗(東寺)、真言宗泉湧寺派(泉湧寺)、真言宗御室派(仁和寺)、真言宗山階派(勧修寺)、 真言宗大覚寺派(大覚寺)、真言宗善通寺派(善通寺)・・など宗派の多さは日蓮宗に並ぶ。


■ 浄土宗

【開祖】 源空大師法然上人(1133〜1212)
【本尊】 阿弥陀如来
【主要経典】 浄土三部経(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)
【本山】 京都・知恩院
【有名寺院】 芝増上寺、長野善光寺大本願、久留米善導寺など
【系列学校】 仏教大学、淑徳大学など
【諸行事】 修正会、節分会、春秋の彼岸会、法然上人御忌会、仏生会(花まつり)、盂蘭盆会等
【法然】  岡山県美作に生まれ、13才で比叡山に入る。 黒谷叡空に師事し「智慧第一の法然房」と称えられるまでになる。 あらゆる経典を読みふけった結果、唐の善導が著した「観経疏」の"一心専念弥陀名号"に触れ浄土教に目覚める。 43才の時である。 比叡山を降り、亡くなるまで専修念仏の教えを庶民に説く。 法然の浄土宗は庶民の爆発的支持を得るも、旧来の奈良仏教派や比叡山から圧迫を受け、75才の時に讃岐に流される。 この時に、弟子であった親鸞は越後に流されている。 亡くなる直前に、浄土宗の要義を平易にまとめた有名な「一枚起請文」を著す。 江戸時代に徳川幕府の信頼を得て一大勢力となる。
【浄土宗系宗派】 西山深草派、西山浄土宗、西山禅林派・・等


■ 臨済宗

 妙心寺派、建長寺派、建仁寺派、天竜寺派・・など14派からなる教団の総称を臨済宗と呼び、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三つを総称して「禅宗」と呼ばれる。 六世紀、インドの達磨大師が中国に入り禅宗を開いた。「面壁九年」のあの達磨大師である。 唐の時代、「禅」は「五家」といわれる流派を生み発展する。 栄西が、その一つである中国臨済宗を日本に持ち帰る。 厳格な戒律が武士社会に受け入れられ幕府の保護を受ける。 室町時代にかけて公家社会と禅文化が融合、京都五山、鎌倉五山で知られるいわゆる五山文化が花ひらく。 江戸時代の白隠(1686〜1769)により臨済宗が再編大衆化され、現在の宗派の形が整ったとされている。

【開祖】 栄西禅師(1141〜1215)
【本尊】 釈迦如来
【主要経典】 座禅行を重視、依拠する経典は特になし。
【有名寺院】 金閣寺、竜安寺、西芳寺(苔寺)等
【系列学校】 花園大学など
【諸行事】 修正会、春秋の彼岸会、降誕会(花まつり)、盂蘭盆会、達磨忌、成道会、開山忌等
【栄西】  "えいさい"とも"ようさい"とも読む。11才で地元のお寺に入り、19才で比叡山に上り天台を学ぶ。 27才で宋に渡り、天台教学を更に深める。 帰国後、九州にて著述に励む。 47才の時に再び宋に渡るが、今度は臨済禅を学ぶ。 帰国後、九州を中心に布教活動に励むも、比叡山と対立する。 のち、北条政子の支援を受けて鎌倉・寿福寺、京都・建仁寺を建てる。 中国から茶を持ち帰り栽培した話は有名。
【臨済宗宗派】 妙心寺派、建仁寺派、南禅寺派、東福寺派・・等。


■ 曹洞宗

 "そうとうしゅう"で"そうどうしゅう"と濁らないのが正しい読み方。 曹洞という名前は、中国・洞山良价禅師とその弟子曹山本寂禅師から、あるいは中国・曹渓山から一字ずつとったとされている。 栄西の弟子であった道元が、中国禅宗五派のひとつである曹洞宗を日本に伝えたことに始まる。只管打坐(しかんたざ)ーーただ無心に坐禅を組むことを提唱する。 四代目の弟子瑩山の時代になって宗派としての体裁が整う。 曹洞宗では、道元を高祖、瑩山を太祖と呼んでいる。 唯一宗派を持たない。福井・永平寺、横浜・総持寺の二本山制をとる。 総持寺は、もとは瑩山が能登に開いた寺であるが、明治の大火により横浜に移転された。

【開祖】 道元禅師(1200〜1253)
【本尊】 釈迦如来
【主要経典】 法華経、般若経、修証義など
【有名寺院】 泉岳寺
【系列学校】 駒澤大学、東北福祉大学など
【諸行事】 修正会、両祖降誕会、春秋の彼岸会、降誕会(花まつり)、盂蘭盆会、両祖忌、成道会、開山忌等
【道元】 内大臣の父、藤原家に繋がる母と、京都の名家に生まれる。 幼い頃に両親を失い、13才で比叡山に入り僧になる。 が、天台の教学に飽き足らず、京都・建仁寺の栄西を訪ね弟子入りする。 24才で宋に渡り、4年にわたり禅を学ぶ。帰国後は著述に励み、有名な「正法眼蔵」を完成させる。 44才の時に、越前の山中に修業道場を開く。後の永平寺である。 一切権力に近寄らず、修行僧の育成、著述、坐禅行に専念する。


■ 浄土真宗

法然の浄土信仰をさらに徹底させたのが、その直弟子でる親鸞。 真宗十派といって、現在では代表的な西派、東派をはじめ10の宗派に分かれる。
 八代目蓮如上人(1415〜1499)が、各地を教化行脚しまた大衆向きに今日お馴染みの「御文章」や「正信偈和讃」を著し、飛躍的に勢力が増大する。 各地で一向一揆が盛んになるのはこの頃からで、その勢いは大名を凌ぐほどであった。 十二代目顕如と織田信長の大坂の石山合戦は有名。 秀吉の時代に入り、七条堀川(現西本願寺の地)に本願寺が再興され、顕如の三男准如が後を継いだ。 一方、長男であった教如は家康の援助を受け烏丸の地(現東本願寺の地)に本願寺を建てる。 その東西本願寺が今日に引き継がれている。

【開祖】 親鸞聖人(1173〜1262 )
【本尊】 阿弥陀如来
【主要経典】 浄土三部経(大無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)
【有名寺院】 築地本願寺、耕三寺
【系列学校】 竜谷大学、大谷大学、京都女子大学など
【諸行事】 修正会、春秋の彼岸会、親鸞聖人御誕生会、降誕会、盂蘭盆会、報恩講等
【親鸞】 京都に生まれ、9才で出家、比叡山に上がりそこで20年過ごす。 やがて、法然の門下に入り専修念仏に帰す。 が、旧仏教側による反発が強く念仏禁止令により、34才のとき越後に流される。 非僧非俗を主張し'僧侶妻帯の禁'を破り結婚、子をもうける。 4年後、流罪が解かれ常陸(茨城県)に移り住み、布教に励む。 浄土真宗の根本教典である「教行信証」が書かれたのはこの頃である。 浄土真宗では、この「教行信証」が書き上げられた年を開宗の年としている。 62才で京都に戻り、90才で亡くなるまで布教伝道と三帖和讃など著述に励む。
【浄土真宗宗派】 浄土真宗本願寺派(西)、真宗大谷派(東)、真宗高田派、真宗仏光寺派・・等。


■ 日蓮宗

南無妙法蓮華経とお題目を力強く唱える。
日蓮の弟子に六老僧と呼ばれる高弟たちがいた。 日向、日昭、日朗、日興、日頂、日持である。 日蓮亡き後、内部抗争?により結果的に幾多の分派を余儀なくされる。 日向の日蓮宗(久遠寺)、日興の日蓮正宗(大石寺)、日朗の本門法華宗、不受布施派等。 約40の分派を要し、また霊友会、立正佼成会、創価学会など新興系教団が多いのも特徴である。 全体での信者数の多さは他宗を圧倒している。

【開祖】 日蓮聖人(1222〜1282)
【本尊】 曼荼羅、1塔両尊(多宝塔及び多宝如来、釈迦如来)
【主要経典】 法華経
【有名寺院】 池上本門寺、誕生寺、法華経寺
【系列学校】 立正大学、身延山大学など
【諸行事】 修正会、春秋の彼岸会、降誕会(花まつり)、盂蘭盆会、御会式等
【日蓮】 千葉県安房の漁師の子として生まれる。 12才になって、近くの清澄山にて天台の教学を学ぶ。 さらに、鎌倉、京都、高野山と修業を重ねるうち、法華経こそ最高の経典であると確信するにいたる。 31才の時、再度清澄山に上り南無妙法蓮華経を唱え開宗を宣言、名を日蓮と改める。 が、論調の激しさから他宗派の反発をまねき、また、38才の時「立正安国論」を著し、法華経に帰依するよう時の執権北条時頼に進言するも受け入れられず、逆に伊豆に流されてしまう。 流罪が解かれてもなお、次には佐渡に流されるという苦渋を味わう。 晩年は、山梨県身延山に移り住む。
【日蓮宗系宗派】 日蓮正宗、法華宗、不受布施派、本門佛立宗等

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